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岬町の歴史背景について
岬町(みさきちょう)は大阪府の最南端に位置し、海と山に囲まれた自然豊かな町です。本町には縄文時代後期を中心に弥生時代の遺構・遺物が出土した淡輪遺跡があり、前方後円墳である西陵古墳や宇度墓古墳、古墳群も点在しており古代国家をうかがい知ることができます。 また、本町には「日本書記」にも登場する紀氏にまつわる伝承もあり、その伝承の地として上記古墳や船守神社などがあります。また、多奈川歴史街道線(たながわれきしかいどうせん)の先には、重要文化財で岬の大仏と言われている大日如来(だいにちにょらい)が安置されている興善寺(こうぜんじ)や珍しい瓦製の狛犬(こまいぬ)がある産土神社(うぶすなじんじゃ)、豊臣秀吉が自らの髭を植え付けた太閤秀吉肉付像(たいこうひでよしにくづきぞう)がある理智院(りちいん)があります。なお、令和2年には「葛城修験(かつらぎしゅげん)」が日本遺産に認定され、本町には高仙寺に修験道の開祖・役の行者(えんのぎょうじゃ)の母の墓があり、和歌山市加太の友ヶ島から始まる葛城二十八宿(かつらぎにじゅうはっしゅく)では、第二経塚(神福寺跡)、慈眼院が現存しています。歴史が香る町「岬町」を楽しんでください。
文化財一覧
船守神社本殿
寺社
船守神社は、911年(延喜(えんぎ)11)第60代醍醐天皇(だいごてんのう)の命令により創建されたと言われていますが詳しいことはわかっていません。神様がいらっしゃるとされる社殿を本殿といいますが、現在の本殿は、1609年(慶長(けいちょう)14)豊臣秀頼(とよとみひでより)の命令により片桐且元(かたぎりかつもと)が再建・・・
西陵古墳
古墳
「西陵古墳」は岬町の淡輪地域にある古墳であり、国の史跡です。岬町は大阪府の一番南にあります。大阪湾の入り口と言われています。 「西陵古墳」の全体の長さは210mです。四角い部分は100m、丸い部分は約115mです。とても大きな墓で、奈良にある大王の墓と比べても並ぶ大きさです。 「西陵古墳」の周りには一重の濠があります・・・
興善寺
寺社
852年(仁寿(にんじゅ)2)、第55代文徳天皇(もんとくてんのう)の命令により、慈覚大師(じかくだいし)円仁(えんにん)が創建したと伝えられています。寺の地形が唐(とう)(618~907年に成立した中国の王朝)の長安(ちょうあん)(中国の昔の都)にある大興善寺に似ていることから興善寺と名づけられました。本堂には平安・・・